藩政時代、上北郡は下北郡と一括して北郡と称されていたが、明治11年郡区町村編制法が公布、この時横浜村以南を上北郡、以北を下北郡の2郡にわけられて、現在にいたっている。明治39年法律第47号で医師法が制定され、それに基づいて同41年青森県医師会が設立され同時に各郡市医師会も設立された。上北郡医師会の初代会長には駒ケ嶺虎太氏(七戸町)が就任、昭和8年からは高橋吉三氏(三本木町)が2代会長に就任した。やがて戦後の昭和22年、新生(社)青森県医師会設立に伴い、同12月新生(社)上北郡医師会が発足3代会長には鈴木磯氏(三沢村)が就任した。それ以後会長は4代鈴木逸太氏(野辺地町S22〜33)5代藤嶋均氏(七戸町S34〜60)6代荒井行夫氏(S61〜H1)7代西岡啅郎氏(三沢市H2〜H14)8代石井淳夫(H14〜)と続き現在A会員95名B会員72名、計167名の会員を数え、県内第四の勢力を有する医師会となった。

上十三医師会事務所(七戸町)
昭和22年に七戸保健所が開設され上北郡全域をその管轄区域としたが、昭和27年に三本木→(現)十和田保健所が設置され昭和40年には三沢保健所が十和田保健所から分離独立、以来36年間3保健所を有する医師会としてその名を馳せたが平成6年に公布された地域保健法に基づく保健所再編成の嵐に飲み込まれ、平成9年七戸保健所はその50年に及ぶ輝かしい歴史の幕を閉じた。この間昭和30年十和田市、昭和33年三沢市誕生という行政改革があったが、二市医師会が分離独立するとなればお互いに弱体化するということで以前の通り一つの医師会として活動していくことになり、「上北郡、十和田市、三沢市を区域とする(社)上十三医師会と称する」ことになった(昭和35年)。
上十三医師会の守備範囲は四国、香川県に匹敵する面積を有し、(右図)13市町村を抱え、現在そこに約22万の人口を数える。そして会員は主に十和田市、三沢市に集中しているが、それでも尚広範囲にわたっており容易にまとまりがつかないため早くから地区制を採用、野辺地、七戸、十和田、三沢の4地区にわかれてそれぞれ地区医師会を組織、自主的に運営し、保健所及び各市町村と協力して、地域保険の向上を図り、学校保険、住民検診、健康教育、予防接種等の事業を積極的に実施し、現在に至っている。

東海大学情報技術センター製作・発行
ランドサットマップより転載区画記入